2010年4月6日火曜日

やわらか脳 by 茂木健一郎


茂木健一郎のウェブ日記「茂木健一郎クオリア日記」を加筆編集した本。
元々が日記なので、徒然に思いついたことが書かれている。

茂木さんとは、本の趣味が合わないなぁと思った。
茂木さんは芥川賞受賞作品を絶賛している。
「芥川賞受賞作品の良さが分からない人は、自分の理解力を疑うべきだ」と。
さらに、「専門家がいいと言っているんだから、いい作品なんだよ。素人は、つべこべ言うな!」と。
でも、直木賞受賞作品についてはケチョンケチョン。
(直木賞だって専門家が選んでいるんじゃないんかい?!)
まあ、日記だから多少矛盾があっても許されるんだろうけど・・・、私は直木賞受賞作品の方が好き。
20年前はまだ良かったけど、最近の芥川賞受賞作は全然面白くない!

本文中から、『なるほど!』と思った部分の抜粋・・・
人間の致死率は100%。

人生の時間の2割くらいは予め何をするか決まっていないワイルドカードであることが望ましい。
空白は空白のようで空白ではない。

否定的に知覚されるものほど、自分にとって恐ろしい敵だし、自分の内面のどこかに共鳴するものがあるものなんだろう。

文学作品に対する評価は、それがどんな文脈に置かれているかではなく、読んだ後の言葉に出来ない独特の感覚、すなわちクオリアによるしかない。

脳の働きから見れば、「やっている」と「やらされている」の差は紙一重である。
神経機構から言えば、純粋な自由意志があるのかどうかも疑わしい。

想像力以外の何ものにも、私たちは制約されていない。

いいじゃないか。他人と違っていたって。
「奇妙であることの自由」を、基本的人権の一つとしてここ日本でも高らかに主張したい。

以下は《アメリカについて》・・・
アメリカは圧倒的な浪費の上に成り立っている。
スペンド、スペンド、スペンド。
物質的豊饒が、良い意味でも悪い意味でもその中にいる人間をスポイルド・チャイルド(甘やかされた子供)にする。


いろんな人たちがいる中、誰にでも通用するなにかの価値を見出そうとする努力は、それなりの普遍にいたるだろう。

コメディを見て喜んでいる単純な人たちだからこそ、ロケットを月に飛ばせた。
「子供っぽい」ということが、良い意味でも悪い意味でもアメリカという国の一体のナショナル・キャラクターになっている。

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